こんにちは、しゅうく(@syuukuETF)です。
「アート(芸術)は毎日がキツイ・ツライ人にこそ必要」という記事の続編です。
今回は「小説編」
以前アップしました音楽や映画は、質も量もかなり多く触れてきたカテゴリーですが、「小説」は気に入ったものを何度も読む、「狭く深く」触れてきたカテゴリーです。
即効性は「音楽」「映画」のほうが勝りますが、「小説」の「文字しかない」ことによる脳への浸透度は絶大です。
アートは生きていくうえで必要
管理人が、なぜアート(芸術)が必要と感じたか?
以下の記事にその根拠を書き綴っています。
なにによって「癒されるか」は、人によって違いますよね。
アート(芸術)に触れることによって、管理人は「癒し」を得ています。
小説編
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」
小説と言えば、なにをおいてもこの作品。
管理人は「音楽編」という記事の冒頭で「アート(芸術)にはパワーやエネルギーを求めてます」と述べましたが、「カラマーゾフの兄弟」はまさにそれに当てはまる、作品自体がエネルギーの塊のよう。
「映画編」で紹介した「クレーブの奥方」と同様、小説を読む際の指標となっています。
冒頭からエンディングまでインテンシティが高まり切った状態なのに、読んでて疲れない。
躁病の極致にように、登場人物それぞれが、まあよくしゃべることしゃべること。
押しつけがましく暑苦しいはずなのに、なぜかスッキリ爽快感すらあります。
しかも、執筆中にドストエフスキーが亡くなったこともあってかオチがなく終わっており、そこがまたいい。
「映画編」で紹介した「Stranger Than Paradise」のようにオチがない作品が大好きな管理人にとっては、たまらない作品となってます。
トーマス・マン「魔の山」
管理人のフィジカルにもメンタルにもしっくりくる作品。
固めのザッハトルテでも柔らかめのスポンジケーキでもない、上質のマドレーヌのようなしっとり感のある言葉が連綿と続き、読者を豊かで知的な世界に誘います。
上質なマドレーヌ食べたことないけどね
超食べたいわよね
物語の展開がほぼサナトリウム(結核の療養所)内のみということもあって、人生をあきらめた人々が醸し出す一定の空気感が穏やかに層を成しており、心地良さすら感じます。
かと思えば、一日5食ほどある食事のシーンなどは、回数もさることながら豊富過ぎるメニューによる飽和感が笑えるのですが、なぜか安心感を覚えます。
しっくりくる人はしっくりくる世界観でしょうし、つまんないと思う人は徹底的につまらないと思います。
谷崎潤一郎「卍」
日本語のリズム感の良さでは、谷崎潤一郎が群を抜いてます。
さらにこの作品では、会話文のみならず地の文も関西の言葉で書かれており、コロコロと心地良く転がる言葉がとても楽しい。
芯の強い四つ打ちのキックと後ろで楽し気に鳴るパーカッションによるトライバルなハウスミュージックのような、はたまたピチカートを効果的に使った弦楽器と口笛を吹くような早回しの管楽器が織り成す小楽隊のような、軽やかな音楽性を感じさせる文章です。
単純に「モテる人が書いた文章」とも言えるとも思います。
村上龍「ヒュウガ・ウイルス」
傑作「5分後の世界」の続編。
作品の強さとしてなら「5分後の世界」のほうが勝るかもしれませんが、リズム感の良さは「ヒュウガ・ウイルス」に軍配が上がります。
「コロナ以降」なのでこんなこと言うのは憚られるけど、管理人は昔から「カサンドラ・クロス」から始まり「コンテイジョン」に至るまで、「ウイルスもの」の映画やドキュメンタリーが大好きです。
どちらもスピードで世界を席巻する存在である、アンダーグランド(UG)兵士とウイルス。
『常に危機意識をエネルギーに変えられるものが生き残る』というのは陳腐ではあるけども、村上龍の作品に一貫して流れる力強いメッセージ。
彼の「目の前に橋を作りながら走る」ような危うさ、地に足がついてなく、次々にエネルギーのあるところに飛び移っていくようなところが好きです。
村上春樹「ノルウェイの森」
何度読んだかわからない作品。
15歳からの10年間ぐらい、村上春樹と村上龍、いわゆる「W村上」と呼ばれる2人の作品ばかり読んでました。
一番多感な頃にどっぷりハマってしまったのが幸福なのか不幸なのかわかりませんが、どっちにしてももう拭いきれないぐらい2人の作品が染付いてしまってます。
「ノルウェイの森」の登場人物は、それぞれ不思議と管理人のリアル人生にも登場したことのあるような人物ばかり。
「永沢さん」のような人もいたし、「ハツミさん」のような人もいたし、もちろん「直子」や「緑」のような女の子もいました。
初めて読んだ時から懐かしく、今でも懐かしい。
「いつでも帰ることができる巣」のようなものがあるとしたら、管理人にとっては「ノルウェイの森」がそうです。
ツライ転職活動中も、やはり読んでしまった、鎮静剤のような作品です。
村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」
初めて読んだ時からなにも違和感を感じずにいましたが、実はこの作品は現代の病理を描いてるような気がしないでもない。
それぞれの登場人物が、村上春樹作品にしては珍しくキャラが立っており、普通の人はほとんど出てこない。
どこか特殊なキャラばかりなんだけど、特殊だからこその悩みを抱えており、見方を変えれば「病人ばかり」出てくる作品だと言えます。
ただ管理人にとってはやはり違和感はなく、「人ってこういうもんだよね」というところに行き着きます。
管理人が音楽をやってた頃に知り合った友達の中にはこの作品のファンも多く、そういった「普通じゃない」友達とは、全くストレスなく付き合えてます。
「ノルウェイの森」が「個人的に帰る巣」だとしたら、この「ダンス・ダンス・ダンス」は、「人との付き合いの基礎として帰る巣」と言える、管理人にとっては重要な作品です。
アートは続くよどこまでも
管理人が「音楽」にとっての『歌詞』、映画にとっての『ストーリー』を重要視してないのと同様、「小説」に関しても『ストーリー』は最重要ではないです。
いかにその世界に巻き込まれるか?「言葉」のリズムに共鳴できるか?だけを追い求めているフシがあります。
このブログ記事も書き上げてしまえばすんなり読めますが、それでも「言葉」を探しながら書いています。
作家は延々その「言葉を探す」作業を続け、リズムやうねりを作り出すわけで、それが読者に刺激を与えたり癒しを施したりするのだと思います。
「これは一生の友達だ」と言える作品に出会えることは幸せですよね。
これからも、未知の世界に出会うため、過去や現在を目の覚めるような「言葉」で具現化した作品に出会うため、いろんな小説を読み続けていきたいですね。
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